ベトナムライフ

マーケティングと出会って8年。今もこの仕事が好きだと、本気で思うその理由について。

現在、夜中の1時48分。平日にもかからず、明日からは普通に仕事がありますが、目が覚めてふと思うことがあり、ブログの更新をします。

 僕は現在、ベトナムのホーチミンに暮らす、26歳の社会人4年目です。新卒で入社した大手の会社を辞めて、いまから7ヶ月前の今年の1月に、現地採用という形で転職し、ベトナムのホーチミンに海外移住をしました。

ホーチミンの日本人街、レタントンの風景

 いまの仕事は、日本人向けのフリーペーパーを発行する会社で、企画と営業担当をしています。加えて、Webを活用した広告宣伝や、メディア事業の育成の責任者として、フリーペーパーの広告商品の企画だけでなく、Web広告に関わる企画にも携わっています。

今回のブログ記事のテーマは、「僕がマーケティングに出会って8年」「なぜマーケティングが今でも好きなのか」についてです。まだまだ20代なかばのペーペーですが、今振り返ると、僕は実は、マーケティングという概念に出会ってから、その勉強や仕事に関わり続けてから、8年も経過していることを、改めて知りました。

社会人4年目というと、10年以上も社会人経験のある方からすると、特段すごい専門性や知識や経験があるわけではないし、一般的な企業でいえば、下っ端の下っ端みたいな存在。そんな立場の僕ですが、いまの仕事をしていて、「マーケティングって面白いな!」と思うことが、多々ありました。

そして、僕はそういうふうに想い続けて、学生時代も含めると、トータルでは8年にもなります。そうなると、「意外とおれは一般的な人よりは、マーケティングというものが好きだし、ある意味得意分野になっているのではないか」という根拠のない楽観的な自信を、自分で確かめる目的もあり、今回の記事を書こうと想い至ったわけであります。

少し振り返ってみます。日記みたいな形で恐縮ですが、最後までお読みいただけますととても嬉しく思います。まずは大学時代から。

※これから書く内容は、全て個人の見解です。

マーケティングという言葉と出会った、東京生活1年目の春。

僕がマーケティングという概念に出会ったのは、豊橋という地方都市から、早稲田大学の商学部に奇跡的に入学し、東京に住み始めてから間もない、4月のことでした。

豊橋という地方都市から、初めて東京に行った時に撮影した富士山

いまは時効だと思うので、この場で話したいと思いますが、僕は大学1年生のとき、ある女の子のことを好きになっていました。なんかシチュエーションが漫画みたいだったので、恥ずかしくてあまり人に話していませんでしたが、その子とは実は、大学の入学式の当日に出会い、僕が人生で初めて東京で連絡先を交換した、江戸っ子で男勝りな、東京出身の知的なシティガールでした。

早稲田大学の入学式。高校の同級生300人以上の中で、唯一早稲田大学に現役で受かった僕は、とても誇らしい気持ちで、母親と母方の祖母と一緒に、早稲田大学のキャンパスを訪れました。受験勉強が終わった反動から、当時は、茶髪に紺色のピカピカのスーツで入学式に臨んだのを覚えています。

憧れだった、早稲田大学大学のキャンパス。大隈庭園の後ろに映る、大熊講堂

祖母と母親と一緒に、お昼ご飯を、キャンパス近くの洋食パスタ屋さんに入りました。入学式の学生とご父兄でとても混雑していた小さな店内だったため、僕ら家族は、大きなテーブルの相席に座りました。そのとき、僕の目の前に座っていたのが、お母さんらしき方と一緒に座っている、目がぱっちりしたハキハキと元気な女の子でした。それが、のちに僕が大学生時代、片思いをすることになる女の子です。

 全く他人どうしの僕らですが、僕のおばあちゃんは、すかさずその子に話をかけます。

「こんにちは〜。元気な子ねぇ」「そうなの、学部はどこなの?」「お母さんも、今日はとっても嬉しいですね。」当時の会話は全く覚えていませんが、多分こんな感じの言葉を、僕のおばあちゃんは、相手方の女の子と、そのお母さんにしていたと思います、おそらく(笑)

 「はい!私は政治経済学部の経済です」「実は、AOで入りました」「私のおばあちゃんもすごく喜んでくれていると思います」

「こいつ、政経なのかい!!」という心の叫びがありましたが、(政治経済学部は、早稲田大学の文系学部の中でも、最も上位に位置すると言われている学部で、そこにこの子は受験ルートではなく、AO試験(推薦みたいな?)という手段で入学をしていました。)地方の田舎出身だった僕は、「こいつめっちゃ頭良いやん!!!」という、圧倒的な劣等感と敗北感を東京初日にして感じながらも、「でも元気で明るい子だなー」という印象を持ったのを覚えています。

ご飯を食べ終え、先に向こうの2人が席を外しました。そのときは、また同じキャンパス内だしどっかで会えるだろうと思っていたのと、タイミング的にもお互いの家族がいる中だったので、特に僕から連絡先を聞くことなく、そのときは別れました。

のちほど、僕は家族と離れ、1人単独行動をする時間があったのですが、偶然にも大隈講堂近くで、再び、その女の子とお母様に出会ってしまいました。やっぱりまだまだ思春期の僕は、お母さんと一緒に買い物するのは恥ずかしいてきな感覚があったので、さっきは連絡先などを聞く姿を自分の母親に見られたくなく、おばあちゃんと女の子の会話に耳を傾けるだけでしたが、そのときは、僕と女の子の家族しかいなかったので、「いまならイケる!」と思い、その子に話をかけにいきました。「あ、もしよかった連絡先でも。」という形で、LINEかFacebookを交換したと思います。

全然マーケティングの話出て来ないやん!というみなさま、ごめんなさい(笑)僕が出会ったマーケティングという概念は、実は彼女がきっかけでした。

入学式シーズンの4月

入学式が終わってから、僕は彼女とご飯にいきます。お互いの生い立ちやこれから大学でやってみたいことなどを話した、4月。そのときに、向こうが「私はマーケティングが好き!すごく面白いの!」という言葉を口にします。高校でも数学や日本史、英語などの科目しかやっていなかった僕は「マーケティングってなんぞや?」という呪文のような言葉をそのとき初めて耳にしました。

かえってから調べてみると、マーケティングとは、「商品が大量かつ効率的に売れるように、市場調査・製造・輸送・保管・販売・宣伝などの全過程にわたって行う企業活動の総称。市場活動。販売戦略。」(※google検索の上位結果より)という意味だと知りました。ああ、企業の戦略なんだ、でも何が面白いのかな?と、まだマーケティングについては全くわかりませんでした。

なかばその子との距離も縮めたいという不純な動機もあったかと思いますが、幸いにも僕が入学したのは、経済学や企業の商いについて学ぶことができる、商学部。チャラ商と言われながらも、難易度の高い経済や商学の勉強、そして将来的に役に立ちそう!という理由で選んだこの学部で、僕はマーケティングを勉強していくこととなりました。これが今から8年前の出来事です。

ゼミでの勉強。企業のマーケティング活動ってめちゃくちゃ面白い!

 大学1年生では、マーケティングの授業をいくつか受講しました。「広告」に関する授業、「会計」に関する授業。「マーケティング理論」に関する授業。その中でも一番面白いな、と思った授業が、守口剛先生の「マーケティング理論」に関する授業でした。

守口先生は、僕らの偉大なる大先生で、マーケティング界では頭が上がらないくらいとても有名な方です。たくさんの企業の方とも関わりが多く、学術的な世界でもかなり有名な方です。僕の言葉から守口先生の紹介をするのは本当に恐れ多いため、気になる方はgoogleで「守口 剛」と調べてみてください!

大学卒業式に撮影した、守口先生とのツーショット写真

 「コカコーラのブランディング戦略」「観光業におけるマーケティング」「マーケティングの4P」「データサイエンスを用いたマーケティング思考」などなど、マーケティングの理論を体系的に学ぶ授業から、データを用いた最先端の学術的なお話、そして、実際の企業活動の実務につながる、具体的な企業名をケーススタディにした、成功事例の共有や、企業のマーケティング戦略についての講義。

いままでは消費者の立場で見ていた企業の宣伝活動や、商品戦略について知るごとに、「企業って、そういうことを考えて、商品を開発しているんだ、宣伝して物を売っているんだ!」ということを知りました。

たとえば、すごく印象に残っている話が、「大人のきのこの山・たけのこの里」の話です。きのこの山・たけのこの里といえば、コンビニで売っている子供用の一般的なお菓子だと容易に想像できるかと思いますが、Meijiはターゲットを少し変えて、「大人の」きのこの山・たけのこの里の商品開発を行います。何が違うのかというと、パッケージをすこしシックにしたり、チョコの味をよりビターにするといった内容だった気がします。

 その中でも初めて知ったときに「はっ!」となったのが、この「大人の」きのこの山とたけのこの里は、ターゲットが成人の方になるため、コンビニでこの商品が陳列されている場所が、通常のきのこの山などのお菓子が並ぶコーナーよりも、上段に置かれている、という話を聞いたときでした。

 たしかに、きのこの山などの一般的なお菓子(うまいぼうとか、かばやきさん太郎とか)10円前後のお菓子って、コンビニとかでは、自分のひざ下くらいに置かれているな、とそのとき気づき、これは企業が「子供」をターゲットにしているため、このような陳列スタイルになっていると聞いたことがあります。

 一方、大人をターゲットにした今回のような商品は、子供がターゲットではないため、他のお菓子たちよりもちょっと上の方(成人男性の胸あたり)の場所にあえて陳列している、という4P戦略の「Place」についての話をきいたときに、自分が普段、消費者として受けていたサービスや商品を、提供する企業の側・第三者的な視点で見て考えることって、めちゃくちゃ面白い!と思ったのです。

マーケティングはそれでも、カバーする領域が広くて、ブランディング戦略から値付けの部分、ターゲット策定から将来的なビジョンの決定、ユーザーからのフィードバックを参考にした商品開発や、広告宣伝、コマーシャル戦略などなど。他の領域についても少しずついろんな授業で学ぶことになりましたが、どれも最終的には「マーケティング」という軸につながるもので、そのどれもが面白いと思っていました。商学部でこういう勉強ができて、本当によかったと、心の底から思っています。

 大学2年生のゼミ選考では、「マーケティングのゼミに入ろう」と腹に決めていました。入学式に知り合った女の子は、のちに「マーケティング研究会」というサークルに入っていたのですが、一方で僕はテニスサークルに所属していて、「ああ、なんかいろいろ負けてるけど、商学部である特権を活かして、マーケティングの勉強だけは頑張ろう」と思い、守口先生の「マーケティングサイエンス」というゼミに入りました。

10期生のゼミ生同期。飲み会後、高田馬場の聖地、ロータリーにて

(肩書きだけで見れば、女の子は政治経済学部にAO試験で入学した東京生まれ東京育ちのシティガール、さらには授業が終わったあともマーケティング研究会のサークルでばりばりビジコンやプレゼン大会などをする超優等生。対して僕は、チャラ商と呼ばれる商学部に地方から入学し、サークルは憧れだった早稲田のテニスサークルに入ったものの、アルバイトは居酒屋のホールスタッフという、チャラさしか感じられないような代名詞をたくさんもっていた大学生でした)

大会など、わりと真剣にやっていたテニスサークルでの活動

大学3年生以降のゼミ活動では、それなりに勉強をすることとなりました。10年以上続けていたテニスに勤しんだ大学2年から一転し、3年生からはゼミ活が忙しくなりました。産学合同のお菓子の商品開発や、百貨店のインバウンド戦略の企業提案、統計分析の手法を学んだり、関東マーケティング大会の渉外担当として、企業担当者へのイベント講師の依頼商談、大会に向けた若者の消費活動のマーケティング研究、街頭での市場アンケート調査、毎週のゼミでのプレゼン資料の作成、などなど。チームのみんなと一緒になって、苦楽をともにし、徹夜で論文を書くみたいなことが日常茶飯事だった守口先生のゼミ活動は、今思うとものすごく貴重な財産です。本当に感謝してもしきれません。

11期生に向けたゼミ説明会。立ち見が出るくらいの盛況ぶりで、志願者も多い人気ゼミだった。

居酒屋のバイトでのアウトプット。講演会でのインプット。

先ほど居酒屋のアルバイトの話に触れましたが、僕は大学1年生から2年生の終わりまで、高田馬場にある少し高級めな居酒屋のホールスタッフとしてアルバイト勤務をしていました。ここの居酒屋での経験も壮絶なもので、とにかくいつも店長に怒られてばかりでしたが、接客対応やお客様が優先なんだ!といった接客サービスの醍醐味を、アルバイトながらたくさん勉強させていただくこととなりました。

居酒屋でお世話になった、社員やバイトの仲間たち

ある日、テーブルのセッティングを、半地下の奥で1人でおこなっていたとき、「お前!邪魔だ!はやくどけ!」と言われて、テーブルの横で先輩と店長が一生懸命10人用の2次会客の宴会テーブルをセッティングしながら、店長に強く怒られたのを、今でも覚えています。

「お前なぁ、いいか。2次会で来たお客さんっていうのは、たまたまこのお店を選んだくれたかもしれないし、ここに来たくて来たかもしれない。だけどなぁ、ある程度飲んで、すでに良い気持ちになっているお客様に対して、席のセッティングが1分1秒でも遅れたら、お客様は気持ちが覚めてしまうだろう!他のお店に行ってしまうかもしれないし、「あのお店は対応が遅いなぁ」と思われたら、二度とお店に来てくれないかもしれない。だから、こういうときの席のセッティングは、お前みたいにモタモタしてたらダメなんだよ!!!」

と言われて、言葉が、心にガーンと来たのを覚えています。これもある意味、企業のマーケティングに関わるとても大切なところです。当時の僕は、2次会のお客様は売り上げ単価としては高くはないけど、カクテルなどの利益率の高い飲み物を大量に頼んでくれる可能性があるので、お店としては利益につながりやすいオイシイ顧客だ、というようなことをあまり知りませんでしたが、このときは店長のそうした経営戦略的なところと、単純に僕がもたもたしていてうっとうしい苛立ちとの両方があったのかもしれません。

他にも、居酒屋のホールスタッフとして、キッチンの正社員さんとの関係構築や、リピーターになってもらえるための接客対応、そして企業の宣伝をするためのFacebook広告の活用などもこのとき携わらせてもらいました。学校で学んだ内容をすぐに実践できたわけではありませんが、自然と体に刻み込まれていった学びも、いくつかあったと思います。

その後、居酒屋のアルバイトは大学2年の冬に辞めることとなり、大学2年生の後半からは、MCEIと呼ばれる、守口先生が普段関わってらっしゃる企業のマーケティング勉強会を定期開催する団体で、アルバイトではあるものの「事務局員」という立場で、週に2、3回の頻度で働くこととなります。「早稲田駅」から東西線に乗り、「九段下」で半蔵門線に乗り換え、「半蔵門」で降りた場所でした。おかたい団体ということもあり、事務所は皇居の近くにありました。

MCEI事務局のメンバーたち。守口ゼミの先輩と後輩と、代々続く貴重なアルバイト

このアルバイトを始めることになったきっかけは、代々僕らのゼミの先輩から引き継ぎ、毎年1人は、ここのアルバイトに参加するしきたりとなっていたからです。僕自身、「もっと社会人と接点を持てる場所で、本格的なマーケティングの勉強をしたい!」と思ったことをきっかけに、最初は居酒屋とのかけ持ちバイトではあったものの、先輩から声をかけられたこのチャンスを生かそう!と思い、ゼミ20人の同期の中でも2人が応募し、晴れて事務局員となることができました。

 アルバイトの時給は1,000円と、夜間手当を含めた居酒屋時代に比べて少し時給が落ちるくらいのバイトでしたが、僕がもっともこのアルバイトに価値を感じていた点は、「月に5回ほどの、有料のビジネススクールや、企業のお偉いさんが登壇する貴重講演会に、無料で参加し、その話の内容を学生ながら聴くことができること」という点でした。

 これが今思うと結構すごい勉強会で、MCEIというマーケティングの勉強会を定期会するこの組織では、日本の有名企業「味の素」「資生堂」「博報堂」「キリンビール」「エステー」「ヤクルト」「花王」「ジェイアール東日本企画」「インテージ」「大日本印刷」などなど、日本を代表とする大手企業の執行役員や会社員の方が何十人、何百人単位で参加するマーケティングの勉強会でした。

講演会の内容などはこの場ではお伝えできないのですが、過去に受講したときのパワポの資料や交換した名刺500枚以上は、いまでも大事に保管をしています。アルバイトの時給としては、そんなに多くはない稼ぎでしたが、企業の実際の成功体験に関する秘話や、今後のマーケティング戦略、これまでの事例の数々、また直接マーケテイング担当者と懇親会で話をして名刺交換をする、といった、風つの学生ではできないような、とてつもなく貴重な経験をさせていただくことができました。

講演の内容を聴くこと自体もとても面白く、後ろの席でテープ起こしや会場の写真撮影などもしながら、必死に講演者の方の発表をメモに取ったり、ときには質問をしたりなど積極的に講演会活動を楽しんでいました。

なかでもすごく勉強になったのが、この学生という立場の特権を生かし、しらみつぶしに名刺交換して、面白いと思った人たちに、片っ端からアポイントメントを取り、食事のお誘いをしたことです。ビジネススクールで講演された営業部長(営業この道30年!みたいな方)と有楽町で会食したり、大手鉄道会社の役員クラスの方と恵比寿でお話を伺った経験など、のちに就職活動や僕のキャリアを決めるうえで、非常にキーとなるお話をたくさん聞くことができました。

このMCEIでの経験と出会った人たちがいなければ、僕は今でも大手企業の一サラリーマンとして、東京で毎日会社や上司の愚痴をこぼしながら、終電まで毎日働くサラリーマンになっていたかもしれません。ゼミ活動、居酒屋での経験に続き、MCEIでも、感謝してもしきれないくらい貴重な体験をさせていただくことができました。そして、就職活動では、ファーストキャリアで、楽天株式会社を選択することとなります。

就職活動の先に選んだ、インターネットカンパニーのECコンサルタントという仕事。

2年目の春に受賞した、社内の表彰状

大学3年生の夏、僕の就職活動が始まりました。5月に行われた外資系企業が集まる就職相談会、その後、面接を勝ち抜いて参加した、夏の20日間を使った、本格的な実務経験をするインターンシップ(これは成績優秀者にはアルバイト代で45万円がもらえるという、当時話題のインターンシップでした)、その後、大学3年の年末に楽天を含めた、ミドルベンチャーや外資系企業に数社エントリーシートを出し、大学4年の4月初旬に当時第一志望だった、楽天から内定をいただくことになりました。実は、その後、記念受験のつもりで、8月にリクルートホールディングスの面接を受けましたが、リクルートは、役員面接を最後に、お祈りをされました。

MCEIで学生ながら社会人の方と出会うきっかけが多くあり、先ほどのお話ではマーケティングの勉強としてはとても身になったものの、僕は自分の人生のキャリアを考えたときに、果たしてこの人たちと同じレールをたどることが、正しい道なのか?と、疑問に思うことも、同時にありました。

「いやー、上司からの決裁承認がなかなか降りなくてさ、まいっちゃってるよ、」「おじさんたちは指示するだけで全然働かないし、こっちは毎日上司のカバン持ちでヘトヘトだよ」

社会人若手が企業から送り出されて参加するMCEIのビジネススクールの講演会のあと、懇親会会場で僕は社会人の方からいろいろなお話を聞きます。さすがに上司も一緒にビジネススクールに参加しているなかで、大きな声で不満を口に出す人はほとんどいませんでしたが、僕には、大手企業に勤める若手の会社員が、心の中ではこのような感じの不満を、飲み会会場でぶちまけていたのを今でも覚えています。

「会社員って、こういうもんなのかぁ」「なんかみんな有名な企業にいて名刺もかっこいいけど、上司との関係が大変そうだな、」

当時は学生ながら、こんなことを思っていました。肩書きはカッコよく、大手企業のロゴと「ブランドマネジャー」のようなキラキラネームが名刺に書かれていたものの、目の前にいる当人は、顔が疲れ切っていて、いまの仕事に対しての熱量もあまり感じられませんでした。いや、入社当時は熱量があったのかもしれませんが、僕らの親世代くらいの年代の上司の方に、常にまいっているというか、若手社員でも会社に提案したいことややりたいことは多々あるものの、上の人や組織の慣習につぶされてしまい、今の会社で頑張ろう!という希望を失いかけているような、そんな感じの印象を受けたのを覚えています。

当時読んだ本。自分はこうはなるまいと強く誓った記憶があります

 就職活動の選択をするとき、僕は大きな軸を3つに決めました。①人、②環境、③事業という3つの観点で合致する企業を探しました。

①人:一緒にいて、自分も刺激となり、ともに切磋琢磨して成長しあえる人が身近にいること。

②環境:20代の成長環境があること。若手ながら、裁量権が大きく、自由な風土でチャレンジを快く受け入れて、やらせてもらえる環境。個人で戦えて、圧倒的に成長できる環境。

③事業:Webマーケティングに関わる事業。マーケティングと、Webという軸に関わる事業。

特に、②の「環境」にはかなりこだわりました。僕自身、中学高校とテニス部に所属していたのですが、中学は全国大会に出るような組織と、実力のある指導者のもとで大きく成長できた一方、高校では地方大会の予選負けをするような、指導者もテニス経験がないし、部室に行ったら先輩は笑いながらゲームをしている、といった、ボロボロな環境という、極端な2つの環境を経験したことから、社会人でも僕自身が圧倒的に成長するためには、個人の能力ややる気、モチベーションも非常に重要ではあるものの、それを活かしてもらえる「環境」が必要なこと、それが大前提となりとても重要であると、理解していたため、就職活動でもこの「圧倒的に成長できる環境がある会社」という観点を徹底してこだわりました。

高校時代、当時ボロボロの環境から、キャプテンとして組織の立て直しを図り、5年ぶりに校内で表彰される実績を手に入れた表彰状

最近、年収チャンネルの株本さんという方が「若いうちにビジネス戦闘力を高めることが究極の安定だ」とおっしゃっていますが、本当にこの通りだと思っています。先述した、講演会終わりの上司の愚痴がこぼれる飲み会などを見ていると、「この人たちは、成長したいと思ってこの会社に入ったのかもしれないけど、この人たちが活躍する場を、もしかしたら会社やその人の上司は、若手に与えていないのかもしれない。そもそもそうした若手から提案して実行していこうというボトムアップの文化が全くなく、年功序列の文化で、40、50代前後のおじさんが、仕事もしないでいい給料をもらってふんぞりかえっている企業が、いわゆる日系の企業の特徴なのかも」という仮説のもと、僕は就職活動時には、ベンチャー企業や、外資系の企業を積極的に選んでいました。

結果、周りの友達の多くが、エントリーシートを100社近く出し、8月まで就職活動をしていたのを横目に、僕は片手で数えられるくらいの企業との面接を終え、人・環境・事業の条件に見事マッチしている、かつ、自分の親からも批判をもらわなそうな、ある程度ネームバリューもあるメガベンチャーの、楽天株式会社に、自分の進路を決めました。

「インターネットの力をつかって、環境的に制約のある地方の中小企業を応援したい」

当時、楽天市場が抱えていたビジョンとミッションについて、地方出身者である僕は、就職説明会で聞いた、楽天のビジョンに対し、直感的に「ここだ!」と思ったのを今でも覚えています。早稲田大学に入って、えんじ色が好きだった僕は、「地方」「赤色」「ベンチャー」といった共通点を勝手に見つけ出し、「ベンチャー企業だけど圧倒的に成長しているグローバルカンパニー。実力主義で年功序列の文化もないし、なにより公用語が英語!これから日本を支える代表的な会社だ!」と思い、一瞬で楽天に惚れました。

当時はまだまだ、外資コンサル外資銀行やリクルート、商社などと比べると、就職先としては一つランクが落ちる企業という認識が僕のなかでありましたが、この直感的な想いと、人・環境・事業のロジックに基づいた決定で、この会社の楽天市場事業、かつ当時ブラックと言われていたECコンサルタントという、営業とコンサルの職に希望通りつくことができました。幸いにも、地元愛知県に配属され、中高時代に馴染みのあった小売企業様や大手企業様と一緒に、EC上で売上を上げる戦略を一緒に考え、売上を上げていく成功体験を積むことができました。

楽天市場のECコンサルタントでは、楽天市場に出店する企業100社を担当し、それぞれの企業の商品やお店のコンセプトにならって、販売したいお客様をネット上で見つけ出し、その人たちに対して的確な広告を出稿したり、SEO対策などをして検索の上位表示に上がるような計画を、店舗さんと一緒に考えながら、実行していきました。

店舗様向けの自主勉強会を開催したときの風景

ここでも、マーケティングが非常に重要な鍵となってくるのですが、僕は楽天市場では、ECコンサルタントとして、営業成績では2年間の24ヶ月連続で広告数字目標を達成し、また、コンサルタントでは担当店舗の売上昨年対比(YoY)が、総合平均しても、年間+10%以上で店舗様の売上を成長させることができていた、わりと目立った社員だったのではないかと自負しております。成績を自慢するために書いたのではなく、僕がこの数字を出せた一つの勝因としては、学生時代からマーケティングの勉強を継続的に続けていて、自然と「ブランディング」とか「プライシング」、「ベネフィットを訴求するためのライティングやランディングページの作成」など、日々、実務に関わる勉強は継続しながらも、これまで培ってきたマーケティングの知識やノウハウを実践することで、きちんとEC上でも売り上げにきちんとつながる提案が、できていたからなのだと考えています。

こうした勉強なくしてでは、店舗様に対してトンチンカンな提案をし、結果向こうが信頼して実施してくれたとしても、結果がついてこないため、売上も上がらず、広告提案にもつながらない、といった、負のサイクルに陥る可能性が大いにあるからです。(実際にそのようにして、メンタル的にも実力的にも追い込まれ、ECコンサルタントを去っていく同期・先輩・後輩を、僕はこの目でたくさん見てきました)

ファーストキャリアでは、ブラックながらもしっかりと自分のやりたいマーケティングの仕事(もちろん営業やコンサルも)を任せていただき、新卒ながら中小企業の社長様に本気の提案ができる、楽天市場の地方支社のECコンサルタントの経験をすることができ、ここでも、ものすごく感謝をしています。自分で選んだ環境ですが、この環境選択は間違っていなかったと、今でも強く心に思っております。

海外での新たな挑戦。マーケティングと広告、そしてメディア事業、そして企業のSNS戦略。

旅した時に撮影した、マリーナベイサンズ

大手企業に入社した僕は、2年と9ヶ月で、楽天株式会社を去ることになりました。社会人3年目の夏、今後のキャリアプランを考えたときに、楽天の地方支社の営業マネージャーになる自分の将来に対し、どうもしっくりこなかったからです。

おおよそECコンサルタントとして結果を出してきた人は、昇進して、営業職のマネージャーとなります。給料や格付けも上がり、花形と呼ばれる楽天市場のEC事業の中でもトップの立場となるため、実は楽天内で他事業部に社内転職するときにも、非常に有利になることが多いと言われていました。それは、「ECコンサルタントとして活躍した(成果を出して、生き残った)=相当仕事ができるやつ」という社内の中での共通の認識や文化があったからです。

実際、いまの楽天は、フィンテックやスポーツビジネスなどあらゆる業界でトップに君臨しているため、相対的に市場事業の存在感は、昔と比べると弱まっている可能性がありますが、それでも、僕がいた当時は、まだ楽天市場のECコンサルタントの特に役職者というと、社内でも一目置かれる存在ではありました。

それなのに、僕がどうしてこの楽天市場のECコンサルタントを辞めたのかというと、一言でいえば、この楽天という会社が圧倒的に成長をしてしまっていたがゆえに、ベンチャー企業という体質から、大手企業の体質に風変わりしていったからです。

もともと、大手で環境が与えられない場所は嫌だ、といって、メガベンチャーである楽天に入ったのですが、楽天はどんどん成長し、グローバルの事業も数多く展開しました。たった20年で、ゼロからこの規模まで成長した企業は、日本でも類をみない躍進ぶりです。僕は、その楽天の成功への道なかばのタイミングで入社をしましたが、もしかしたら僕が入社した時点で、楽天はもう、メガベンチャーではなく、すでに大手企業になっていたのかもしれません。2015年に、二子玉川に楽天のドでかいビルが立ち、朝昼晩が無料の社員食堂や、社員が使えるスポーツクラブ、机の上まで運んでくれるクリーニングサービスなど、福利厚生でもものすごく魅力的な会社へと変身していった結果、待っていたのは、大手企業の不満を持つ若手社員が望む、転職先としての楽天という会社でした。

楽天は実は、国内の転職先でトップ10に入るくらい、転職先として有望な会社に現在選ばれているそうなのですが、たとえば、さきほどの大手企業の不満をこぼすような楽天よりももっと古い体質の会社にいる人は、「こんな会社じゃやってられん!成長もできないし、やりたいこともできない!」という理由で、転職先を探します。しかし、彼らは、すでに結婚をしていたり、子持ちだったりするので、起業のような一念発起もなかなかしづらいのが実態だと思います。

そこで、転職先として選びやすいのが、楽天。新興企業ではあるものの、成長しているし福利厚生も充実している、企業としても安定しているインターネットカンパニー。転職者が転職しやすい理由のもう一つは、楽天という会社が、多岐にわたる事業を持っているため、前職でインターネット業界の経験がなくても、たとえば旅行業や金融業などの専門分野に長けている人であれば、楽天は入社しやすい会社となるのです。

そうした人たちが大量に二子玉川のキラキラしたオフィスに流れてくる一方、地方支社では、本社からやってくる難解な指示や、業務連絡が多く飛び交います。着実に増えているマドギワ族と、安定した高給と福利厚生で、悠々自適に生活する東京の社員たち。僕は臨んで地方支社に行きましたが、この会社自体はこれから、いわゆる日本の大手企業のような、給料泥棒が多くなる会社になるのではないか、という僕の勝手な予想のもと、「この会社にいても、これ以上なかなか成長できないかも」と直感的に思い、社会人3年目で海外を見据えて、社外もしくは社内転職を当初目論んでいた僕は、予定通り、セカンドキャリアで海外の転職先を選択しました。

就職活動のときから意識していた、海外で働くというキャリアの選択肢

このままECコンサルタントの花形として、社内でも有望な立場で高給と最強の福利厚生をもらいつづけるか、もしくは、給料が半分になってでも、新しく成長できる機会と環境を、ほかに探し出すのか。直属の上司と、またその上の上司、そのまた上の上司や、他部署との人事部と7回以上の人事面談繰り返し、最後の事業部長との面談では、格付けと給料アップの条件付きで、楽天市場のシンガポール支社の駐在の選択肢を提示されましたが、僕が選んだ答えは、後者でした。

ベトナムでの現在の仕事は、冒頭で述べた通りです。同じ「広告営業」という専門分野を生かし、楽天市場でも経験のあった、広告営業を今度は海外のフリーペーパーでもやってみよう、ということで、いただいたご縁もあり、今の会社を選びました。今の会社は、社長が同じ早稲田の出身、ハノイの営業マンが同い年、上司にリクルートで20年以上のキャリアをもつ元名古屋にいたベテラン上司などなど。すべて直感ではありましたが、最初に紹介を受けて、社長や社員さんと面談をしたときに、このときも「この会社だ!」と思って、その場で転職を決めました。社長の性格や、会社として今後やりたいことの方向性が、僕のやりたいこととピンポイントでマッチしていたのも、大きな理由でした。

いまの仕事でも、マーケティングが大事だと、日々痛感します。フリーペーパーの広告は、Web広告とは異なり、定量的な効果測定をはかりづらいという欠点があります。楽天自体は、すべての企業の販売実績と広告効果がシースルーのように分析することができましたが、フリーペーパーではそうはいきません。当然、全て見えるということは、これはこれでごまかしが効かないのも事実のため、楽天時代は、自分を信じて広告を買ってくれた企業に対し、広告効果が一切出なかったときの定量フィードバックほど怖いものはありませんでした。

悪い方に考えると、紙ならば、効果が出なかった時も結果をごまかせる、という側面も持っていますが、僕はいま、フリーペーパーでも定量的に広告効果を測定できるようにならないかと、新しい取り組みも、今の会社で考えたりしています。Webの強みとしては、効果測定が可能なこと、そして即時性があることなので、これらの強みがフリーペーパーの弱みを補完する役割を果たすことができたら、僕らの事業は最強になりうる可能性があると考えています。

僕が広告が好きな理由として、実は、写真や動画、デザインといった、右脳からインプットをし、左脳でアウトプットや論理を展開することが好きという点が挙げられます。フリーペーパーだと、Web以上に、自分と企業様の要望でデザイナーさんに作成していただいた広告が、両手いっぱいにバン!と手元に広がるので、Web上におけるスマホの小さなバナー広告や、PCの画面におさまるサイズの広告に比べると、フリーペーパーは、広告デザインが完成したときの爽快感があります。(今の会社では、毎週水曜日に発行するフリーペーパーなのですが、毎週金曜日に上がってくる次週号の紙面データと、火曜日の15時にオフィスに到着する最新号は、とても楽しみです)

企業としては、フリーペーパーで広告出稿を出す以上、媒体として魅力があることはもちろん、広告のクリエイティブや、その中に含まれるキャッチコピーが的確でないといけません。広告を作るタイミングで、ターゲットがぼやけていると、誰に何を伝えたい広告なのかがわからないですし、実際に広告効果も出にくいという結果があります。

結局、広告の営業をするからには、マーケティングについて詳しくないと、企業に対して適切な提案もできないですし、広告効果を出し続けることができないため、広告の営業数字としても未達になってしまう可能性も高くなります。すべて、学生時代に出会った「マーケティング」という言葉が、いまの僕の仕事を支えてくれているのは、言うまでもありません。

僕は、このマーケティングという世界を知ることができて、とても胸がすっとする想いと、ただただ嬉しい、楽しいという感情を抱いています。SNSを通じたマーケティング戦略も現在では主流となっていますが、これからも、マーケティングに関わる事業やビジネスは、ずっと続けていくことになると思っています。マーケティングが好きだからです。

自分のビジネスを持つこと。起業という言葉のまやかし。

東京渋谷の風景

学生時代の生い立ちから、社会人での経験まで詳細に書いてきましたが、このブログを立ち上げた目的にもありましたが、将来的には自分のビジネスを持ちたいと思っています。特に、自由の効く20代のうちに経験したいと思っています。それが、今の会社に所属しながらなのか、セカンドキャリアの次のサードキャリアになるのかはまだわかりませんが、ベトナムのホーチミンという国で、中小企業の社長さんや店舗オーナーさんとお会いすると、良くも悪くも「ビジネスをスモールスタートする」という感覚が、ものすごく一般的で、距離の近いことのように感じることが多くなりました。

日本でいうと「起業」という言葉だけが独り立ちをしていて、よく学生起業しましたとか、資金調達しました、といって「こいつすげー」っていう風になる風潮があると思うのですが、正直、僕自身も、立場が会社員であるがゆえに、「起業している人」に対してコンプレックスを抱いていた時期もありました。

最近では、フリーランスや会社員のままブランド人として生きていく、といった多様な生き方が認められつつある日本社会に変わってきているので、自分の立場や肩書きなどは優先順位は下がっていますが、次に僕がやってみたいこととしては、自分でビジネスを回す、という経験をすることです。これは、成熟した飽和状態の日本よりも、発展途上でチャンスの大きいベトナムという国の方が、新しくビジネスを始めるチャンスは大いにあると思っています。

経済成長が著しいベトナムホーチミンの街

 またベトナムにきて半年しか経っていませんが、いろんな人にいろんなことを言われながらも、毎日たくさんの刺激をいただいています。日本では普段お会いできないような人たちともたくさんお話する機会をいただけるため、自分のキャリアはこの方向でよかったのだと、確信しながらも、挑戦できる日々を送ることができています。

「ベトナム起業」というと、かっこいいーというイメージもありますし、もう僕の先輩たちは、すでに、そのステージに上がってチャレンジをしています。僕はまだ英語もベトナム語もまだまだ勉強途中ですが、早い段階で3言語をマスターし、Webにも強い、そして何よりマーケティングに強い人材として、これから先の足元2年間を着実に実りあるものにしていこうと思います。

入ってから知ったのですが、いま働くSunrise Advertising Solutionsという会社は、どういうわけか、リクルート文化が強く、今のオーナーさんもリクルート出身だったり、リクルートからの社員の引き抜きなどが多いことをのちに知りました。

僕が大学時代に好きだった入学式の女の子は、新卒入社でリクルートに行ったようなのですが、僕は新卒入社でリクルートの切符をもらえなかったところに、もしかしたらまだ彼女に対してどこか、劣等感を感じているのかもしれません。

今回、ベトナムの日系フリーペーパーの広告営業とWebメディア事業の育成に携わっている今の会社ですが、僕がずっと頭の片隅で気になっていた「リクルート」というコンプレックスを解消してくれた、ベトナムにおけるリクルート社という感覚に惹かれ、直感的に入社を決意したのかもしれないと、改めて思いました。

時刻は朝の6時15分。僕のつまらない話で、4時間ぶっ通しでつらつらと書きましたが、僕は今でもマーケティングが好きですし、仕事でも勉強でもすごく楽しいと、日々感じています。そしてこれからも、マーケティングの専門知識を有する人として、仕事に勤しんでいこうと約束します。

長文でしたが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

最後に、僕の好きなジョーブログの「路上に咲く花」という動画のリンクを貼っておきます。僕は、昨年、海外移住をしようか悩んでいるタイミングで、僕の背中を教えてくれた、とても大好きな歌です。

「大人になったら、なにになりたい?あの頃毎日考えていたのに。」

「大人も子供も関係ないぜ。なりたい自分に、いつでもなれるぜ本当は!」

ぜひご覧ください!

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